遺言



2024年 春 桜の花びら散る時と同じくして父が亡くなりました。


父は婿養子として母方の家にやって来て、定年退職まで鉄工所で勤務していました。

四人兄弟の末っ子として産まれ、学業の成績も良かったらしいのですが大学進学は許されず、兄たちが勤める会社へ就職しましたが、数年後に退職、数社を転職し最後は鉄工所に落ち着きました。


理不尽や矛盾、様々な社会の悪習を許せない不器用で馬鹿真面目な面もあり長い社会生活の中、様々な苦労をしたのではないかと思います。

そのためか、私には一切の躾や学業への提言などは無く、好きに生きたら良いという教育方針もあって何不自由すること無く育ててもらったお陰で今の自分があると確信し感謝の気持ちが日々溢れてきます。


そんな父は定年後は農業や私の仕事の手伝いなどで忙しくしていましたが、2018年頃からは自宅に籠る事が多くなりコロナ禍が更に出不精に拍車をかけ、今年の1月にはどんどん体調が悪くなりあっという間にこの世を去っていきました。


『もっと真面目に生きればよかった。』


この言葉は今年3月全身癌ステージ4で余命1年と宣告され寝たきりの身体で口にしたものです。

私はこれを父の遺言として私の魂に納め、残りの自分の人生は『尾道食文化の要石』として誠を尽くすことを誓いました。


私が35歳の時、人生で父と一度だけ大喧嘩した想い出があります。2018年 夏 西日本豪雨災害の影響で尾道では約10日間断水期間がありました。私の家は飲用水としてもどの名水にも引けを取らない非常に美味しい井戸水(成分検査済みで備後茶量で使用)があり、その水を私が水用で常備している20ℓタンク約24個に井戸水を入れて断水で困っている業者さんや仲間たちへ持って行こうとした時、何を思ったかタンク全てに尾道市内に住んでいた私の姉(父の実娘)二人の名前をそれぞれに書き、水のタンクは一つも渡さん!!と頑なに言い放ち、姉二人には好きなだけ水を使え。と伝えていました。

尾道市内に住む友人は飲用水やトイレの苦労は勿論、お風呂も隣町まで行き裸の状態でシャワーが空くのを10分以上待つなど大変な思いをしていましたので、姉二人には一日に必要な水タンクの量を聞き、翌日ローテーション分も入れても10個は余ることを父に伝えてもやらぬ渡さぬの一点張りです。

かなり激しい言い合いに孫たち五人も集まって来た時、ぼそっと父が言いました。


『娘二人にはいいようにしてやりたいんじゃぁ。』


喧嘩最中には何も感じませんでしたが、夜になり布団の中で感じました。こんなにも大きな愛情で私たちは育ててもらったんだなと。

自然に涙と感謝が溢れてきました。


世間一般的には私の考え方がいわゆる良い人かも知れませんが、どんな状況で誰が何を言おうと命懸けで我が子を護る父の姿が今では誇らしくてなりません。




真面目に生きる。




含みのある遺言はどんな書物よりも分厚いこれからの生き方のメッセージと励みになりました。